2022年2月5日土曜日

大好きなプリキュアへの失望。なぜプリキュアで「マジカルオネエ」?――デリシャスパーティ♡プリキュアに思う――

私の言いたいこととしてはタイトルの通りですが、あまりにもフィクションにおけるマイノリティの表象について前提知識が共有されていないように思います(いたしかたない部分はありますが)ので、若干前置きが長くなります。 


まず、マジカル・ニグロという概念があります。(ニグロという言葉は使うのもはばかられる蔑称ですが、わかりやすさを優先してしまうことをお許しください)

元来、社会的弱者(マイノリティ)はアメリカコンテンツにおけるネイティブアメリカンよろしく、悪役として描かれる側面の方が指摘されがちです。が、やたらめったら社会的強者(マジョリティ)に尽くす善き人として描かれる現象もあります。それがマジカル◯◯であり、特に代表的なのがマジカルニグロ(白人にめっちゃ優しい魔法使いみたいな黒人)です。

決して善き人として描かれることそのものが問題なのではなく、「マジョリティにやたら尽くす」というところが問題です。悪役か超超超超超善人か、両極端なのが問題です。

なぜなら、これを描いているのは、大抵はマジョリティ側だからです。例えば、白人が「ワイらに尽くしてくれる黒人はええな~(=尽くしてくれなきゃ存在意義なし)」という意図のもの生み出したり、男性クリエイターが「ワイら男に尽くしてくれる女の子はええよな~(=男社会に反抗的な女は気に食わない)」と考えた末に生み出してきた、ということです。

この文章を読んでくださっているあなたが賢明な方であるならば、差別構造(個人として差別するか否か、ではなく構造に関与しているか否かです)を生み出すところのマジョリティが「マイノリティには私らに尽くしてほしい」と考えるのがいかに身勝手であるか、というのはおわかりのことでしょう。

そしてこの話が理解できなければおそらくこの先も理解できないでしょう。いますぐ読むのをやめることをおすすめします。理解もできないものを読んでも、他分変な憎悪をつのらせるだけですから。

 

さて、マジカルオネエというのは、先にのべたマジカルニグロの通り、「非セクシュアルマイノリティである人間に都合のよいキャラクター、として描かれたオネエ」という意味です。

オネエの一般的なイメージといえば、「自認が女、恋愛対象はいい男、女言葉を使う、くねくねしてる、美容にこだわる、中性的な格好を好む…といった特徴を兼ね備えた『男』」という感じでしょうか。そして、これらは主にゲイ男性、あるいはトランスジェンダー女性のイメージとしてとらえている方もいるでしょう。

ですが、それは全くの誤解です。 お化粧をしたり、中性的(女性的)な服装を好むことと、「どの性別を好きになるか」という性的指向は全くの別物です。例えば、ゲイだと公表している有名人を調べてみてください。彼らはくねくねしているでしょうか? やたら「女らしい」仕草、服装をしているでしょうか?

ですから、まず「オネエ」という概念そのものが、偏見の塊であったり、雑なくくりであるのです。LGBT(とひとくくりにするのもどうかと思っているのですが…だって性的指向と性自認ってまるで別物だし)へのエンパワとしてオネエをとらえる向きもあるようですが、それははっきり言って勘違いも甚だしいです。オネエタレント(とされる人々)には女性に対する偏見を垂れ流すような人もいるし…

 

往々にして、フィクションにおけるオネエキャラというのは、オタクには「ちょっと変わってるけど、そこが魅力的ないい人」という風に受容されることが多いです。「オカマ(※蔑称ですので基本的に使ってはいけません)って気持ちわり~」というよりは、「このオカマめっちゃ良いやつでいいキャラしてんなー、好きだわー」という風に描かれますし、消費されますね。今回のプリキュアの感想でも、見かけたのは後者でした。

ここ数年だと、「ドラゴンクエストⅪ」のシルビアさんがこのマジカルオネエだったし、"小悪魔"的な演技で石原さとみが評判をとった「失恋ショコラティエ」ではリクドーさんがこのポジションでしょう。失ショコは原作マンガの方がよりリクドーさんのマジカルオネエっぷりが顕著だと思います。ついでに言うと、ふたりとも美形デフォルメだし、後者は特に男前っぷりが強調されますね。

他のマジカルオネエの例もあるし、私が知らない作品にも、おそらくこれに該当するキャラが存在することでしょう。

私は、シルビアさんやリクドーさんのことは大好きですが、それでも「マジカルオネエってのはもう再生産しちゃいけないんだろうな」と思っていたところがあります。前述のように、セクシュアルマイノリティへの偏見がふんだんに入った概念だからです。それはときに侮辱にもひとしいからです。

まぁドラクエとかはそもそも女に対する扱いも色々おかしい(ナンバリングはほぼすべて1周して中には3周してるものもあるぐらいには好きなシリーズですが、そこはやはりどうかと思っている…)作品なので、性別とかジェンダー規範といったものに対しての鈍感さ不明瞭さが、単に「マジカルオネエ」という形で現れただけとも言えます。

だからこそ、「大衆向けで、ジェンダー規範(女らしさ男らしさなど)へのアンチテーゼを含んでいると様々な形でアピールしていて、子どもをメインターゲットとする」というアニメには絶対に登場してほしくなかったのです。再生産するならせめて一部のオタクで愛でようぜと。これ以上一般に浸透させちゃいけないと。

 

だから、「プリキュア」にマジカルオネエが出てきた、という事実は本当にショックです。残念で、すごく残念でたまらない。怒りさえ覚えている。(ここからやっと本題ですね)

 

2022年1月9日、心待ちにしていたはずの「デリシャスパーティ♡プリキュア」のキービジュアルや、ローズマリーさんの設定が公開されたとき、私も他の方も「こんな(偏見にみちみちた)オネエがなぜ今のプリキュアの企画で通ってしまうのか」ぐらいのことを指摘しました。

いやいや、私らが考えすぎなだけでひょっとしたら本編はもうちょっとマシかもよ、も思い直し、この2月6日を待ちました。ですが…結局、ローズマリーさんは典型的な「マジカルオネエ」でした。典型的すぎるぐらい典型的でした。私達は考えすぎてませんでした。

あいにく今日は寝坊してしまい(まぁ毎年半分ぐらいはリアタイできないんですけどね…)、ツイッターのタイムラインに流れてきた数々のツイートで、ローズマリーさんが結局マジカルオネエにすぎなかったことを知りました。「オカマ」という非常に屈辱的なワードをもってローズマリーさんが評されているツイートを見て、プリキュアはそういう下卑たアニメに成り下がったのかと失望しました。 本編を(あまり気が進まないながらも)自分の目で観て、なおさらそう思いました。


初代プリキュア、「ふたりはプリキュア」の監督を務めた西尾大介さんは、「子どもたちは好きなものを無条件で受け入れてくれる。だからこそ間違ったことを描いてはいけない」ととおっしゃっていたことが、プロデューサーの鷲尾天さんによって語られています。

他のインタビュー・対談を読んでいても、また本編を見ていても、彼らは「女らしさ」「男らしさ」などへの批判的な要素をとりいれ、子どもたちに偏見を植えつけたり、あるいは縛ってしまったりすることのないように、様々な工夫をしていたことがわかります。

もちろん、完璧な作品なんてものはありませんから、初代プリキュアの描写にも色々思う所はありますが(その話はおいおい)、 それでも、「プリキュア」が長寿シリーズになっていうにあたって、毎年プリキュアを作ってこられた方々は、メインターゲットである子どもたちを思い、保護者の(批判的)意見なども取り入れながら、常に「子ども達に寄り添う存在としてふさわしくあるように」と努力してきたことと思います。私がこのアニメで評価していた点はほとんどそこにあると言ってもいいでしょう。

 

ですが、設定の段階から、1話目から、初っ端から失望したプリキュアは今回がはじめてです。「子どもたちに間違ったことは教えていけない」という信念のもと、十数年をかけ先達が様々な検討を行いながら努力してきた中、それを踏まえてブラッシュアップされていなければならないはずのシリーズ最新作で、こんなにわかりやすく偏見にみちみちた「マジカルオネエ」が易易と企画を通ってしまうなどありえないことです。

私は(マジカルオネエであるところの)シルビアさんやリクドーさんのことは大好きですから、ローズマリーさんのことも好きです。「オネエとしての魅力」に限らず、責任感にあふれる、頼もしく立派な大人でもあり、キャラクターとしては好印象です。

ですが、それでも子ども向けアニメで「マジカルオネエ」なんて概念を用いてしまうことは批判せねばならないと思います。やたらと好印象なこと自体、我々非セクシュアルマイノリティにつくしてくれる『マジカル』たることの証明なのですし。

 

また、ローズマリーさんに関する感想ツイートの数々には、(ローズマリーさんを好意的にとらえているにも関わらず)「オカマ」という蔑称で呼ぶものがあります。「オカマ」呼ばわりが問答無用で侮蔑的というのは、もはやこの言葉を自作品内で堂々と使っていた漫画家なども認めていたりところで、本来ならもっと厳しく批判されなければならない現象であるはずです。

ですが、なぜか一般にはこの認識は浸透していないようだと常々痛感します。

そして、私が危惧しているのは、「プリキュアを観る子ども達の周囲の大人も、『オカマ』という言葉を平気で使っているのではないか?」ということです。

かつての私の家でも、私と一緒に両親もプリキュアを楽しんでいましたから、ちょっと感想を交わし合うぐらいはするでしょう。そこでローズマリーさんのことを「オカマ」呼ばわりなんてした日には…そしてもし子どもがなんにもわからず「オカマ」呼ばわりなんかしてしまって、そのまま大人になってしまった日には…この先は述べる必要もないだろうし、述べたくもありません。

子どもたちにだって、セクシュアルマイノリティは存在するだろうに…

 

「子どもたちは好きなものを無条件で受け入れてくれる。だからこそ間違ったことを描いてはいけない」という、初代プリキュア(の監督)の精神はいったいどこにいってしまったのでしょうか?とこの作品に関わったスタッフに問いたい。

まさかその精神をくだらないとでも思っているのでしょうか?でもくだらないと舐め腐ってなきゃマジカルオネエなんて出さないか…

未だに「オカマ」呼ばわりをはじめとするセクシュアルマイノリティへの偏見と差別が蔓延していることなんか、調べるまでもなくわかることです。そこまでわかっていれば、「マジカルオネエ」がプリキュアにふさわしくない概念であることぐらいは内部で指摘し合えるはず、もっと適切な処置がとれたはずです。

(まさかLGBTへのエンパワとして出したとかじゃないよね? そうだとしたら完全にマイノリティを舐めている…)

 

実は、私は1作品だけ(今回と似たような理由で)プリキュアをボイコットした年があるのですが、今回はそれ以上の失望を感じています。初っ端から、問答無用でアウトです。

幼いころから大好きなシリーズを心から応援できない、それが本当に残念でならない。

そして、マイノリティを舐め腐った概念が好きなシリーズで採用されてしまったということが悔やまれてならない。この作品を通して、再び偏見ゆえの差別が増長されつつあるということがとにかく許せない。

 

もうはじまってしまったのだから、設定を変えるなんてことは色々な意味で無理なのでしょうが(したらしたで色々別の問題が吹き出しそう)、偏見にみちみちたマジカルオネエの再生産を大衆向けの作品、子ども向けの作品でやってしまったという罪は、あの作品に関わったスタッフ(特に作品の根幹を担う主要スタッフ)にはちゃんと自覚してほしい。その上で今後、アニメをつくるという仕事に携わってほしい。

そして、変えることはできなくても、せめて「オカマ」なんて蔑称でローズマリーさんを呼ばないでほしい。そのことは、公式からアナウンスがあったっていいぐらいだと思う(ま、やらないでしょうが)。

 

この発信が少しでも多くの人に届きますように。そして、大好きなプリキュアがこれ以上下卑たアニメに成り下がりませんように。

 


 

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